これからの高齢社会を一緒に考えてみませんか。

一隅を照らす

 「一隅を照らす」という言葉は、よく使われますが、これまで漠然と、「社会の片隅を照らすことの出来る人が立派な人だ」くらいにしか思っていませんでした。

でも、比叡山延暦寺に行って、その本当の意味がわかりました。
 
 比叡山延暦寺と言えば、昔、歴史の教科書で勉強した程度の知識しかなかったのですが、今や「世界遺産」ということもあり、大勢の人々が訪れる観光地になっています。

 延暦寺の大講堂の入り口に立つと、「一隅を照らす」という言葉が飛び込んできます。誰からともなく教えられた「一隅を照らす」という言葉、とても気になったので、いろいろと調べてみました。


この言葉は、平安時代に比叡山延暦寺を開き日本天台宗の宗祖である最澄(767-822)が著した『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の冒頭部分に記載されています。

『山家学生式』

国宝とは何物ぞ
宝とは道心(どうしん)なり
道心ある人を
名づけて国宝と為す

故に古人(こじん)の言わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)
是(こ)れ国宝に非(あら)ず
一隅(いちぐう)を照らす
此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと

 「径寸」とは金銀財宝のことで、「一隅」とは、今あなたがいる場所のことを指します。

 つまり、「一隅を照らす」が、意味するところは、「お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代え難い貴い国の宝である。」ということです。

 一人ひとりが、それぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていくという考え方です。

 これに感銘した東洋思想家の安岡正篤氏は「賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つのことを何十年と継続していけば、必ずものになるものだ。別に偉い人になる必要はないではないが、社会のどこにいても、その立場においてなくてはならぬ人になる。その仕事を通じて世のため人のために貢献する。そういう生き方を考えなければならない。」との見解を述べています。

 人は誰でも、何らかの使命を果たすために、この世の中に生まれてきたともいいます。人をうらやんだり、自分を卑下するのでなく、自分を信じて自分の場所で仕事に専心すれば、必ずいい仕事ができるということです。

 要は、何事も当たり前のことを馬鹿になって当たり前にすることではないでしょうか。そういう努力する姿を同僚や家族、友達や周囲の人々は見ています。そして、あなたが光れば、あなたのそばにいる人も光り輝きます。自分が周囲に良い影響を及ぼすのです。

私も「一隅を照らす」人となるべく、努力をしてまいりたいと思います。

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